事件の原因は世論と風潮に最適化される

タイトルで全て言いたいことをいってしまった気がする(汗)*1
アニメが一部放送局で放送され、私たちは見事惨劇を打ち破ることができました。でもまだ終わっていない気もする。*2皆殺し編にあった圭一たちの運動を体現したような感触を覚えます。実際のところ、それはアニメ制作側と放送局側が一番分かることなのですが、私はそんなものを感じてしまいました。


さて、ここで私たちが更に考えるべきなのは「ひぐらしのなく頃に」という作品の外面性です。原作の鋭すぎる表現は第1期のアニメ描写によってよりインパクトを増し、印象がそのまま誤解されてしまったことです。


sixtysevenの日記 - ひぐらし=グロゲーという認識
文章の引用失礼します。

ひぐらしファンによる影響力のブラフ」ってのは非常に面白い考え方だけど自分は少し違って、「オタクによる影響力のブラフ」だったと思うのです。

私もそう思います。まず始めに起こった京都の事件。これに対するネットの反応はリアルひぐらしということではなかったでしょうか? 元作品を知っている人か、知らない人かは分かりませんがこの反応が一部のマスコミを勘違いさせた一端かもしれません。もちろんそんなことをしなくても、CS版やコミック表紙にあるようにレナや圭一が鉈とバットなど凶器を持っていたため、そのような反応があるのは自然です。


出版社やゲーム会社などのビジネスをとる側はインパクトの勝負は何よりも重要なので、ひぐらしの象徴とも言えるものを持ってくるしかない。出題編(鬼隠し編綿流し編祟殺し編)と解編(目明し編罪滅し編)は確かに暴力・殺人で解決しようとした愚かな展開です。他作品と比べたとき、最も印象深いところをとってきて区別しようと思うのは人の常で、どうしてもこの悪い印象が頭に残る。それが問題と分かっているからこそ、解編の目明しと罪滅しのラストはあのように締めくくられているのです。


そして何も凶器を持たなくなり、話し合いで正論を通す皆殺し編のシナリオ。作品として一番重要なメッセージを気づいてくれない人が多い。作者のメッセージ性が伝え切れていないのは、解決法に至る知名度の無さにあるのかもしれない。アニメ2期でその認識の完成がされなかった時期でそういう見方をされるのは残念でならない。でも身もふたも無いこといってみる。序盤のグロさがあって誤解させないということは不可能だと!(オイオイ)



おので切りつけ相次ぐ 凶行はアニメの影響?|事件裁判|社会|Sankei WEB
また産経ですか・・・。

対話が苦手で家族とのコミュニケーションさえも満足にとれず、親子関係の崩壊につながる

いや、そういうコミュニケーションを大事にするメッセージ性をもった作品がひぐらしなのですが・・・・・。といったところで理解しない人間は数多くいるだろう。現実的にそういう意見を持った人種はたくさんいるから一般的世論だと言われ、特異的なアニメ・コミックが悪だという風潮が広まるのである。そうやって何もかもつなげるゲーム脳(またはアニメ脳?)と解く人間。そんな理解されない社会が嫌いなのは私たち10代〜20代のオタクだけだろうか。


よく考えたら世代間で考えが合わないのは昔からですね(苦笑)
稚拙な文章を公開してしまい申し訳ないです。

*1:内容書記後タイトル考えるとこうなる

*2:これについては後半に記述することする